2014年10月15日水曜日

事始別館 5 多忙な社会の「省エネ思考」(ヒューリステイック)  読書録から



多忙な社会の「省エネ思考」(ヒューリステイック) 読書録から

行動科学ブックレット「決める~意思決定の心理学~」中西大輔(行動科学研究会)著

「行動科学」という言葉を大学で心理学を教えている友人(元管制官)から聞いたことがあった。ネットを見ていたら偶然この本が目にはいった。「薄い」(約60p)のでちょっと読んでみよう、という気になった。で、注文。

わたしたち(人間)は忙しい!?

私たちは、朝おきてからいつものように病院に来るまでだって、否応なくいくつもの意思決定(判断)をしながら来ている。何時に出るのか、どこを通るのか、今日は何曜日だからこの道は混んでいるとか、「あっ、黄色になった。仕方ない。止まるか」・・・など。いちいち意識はしないのだが、その場その場で、ということも含めて意思決定をくりかえしている。病院に来れば、診療は「決める、意思決定」そのものだ。「Aという薬にしようか、Bにしようか?それとも手術か?」「入院させようか?外来で診れるか?」

ところで、人間の意思決定というのは、どの程度論理的なのだろうか?というのがこの本のテーマだ。

私たち人間は使える能力に限りがあり、使える時間にも限りがある。いつもすべての情報を集め、ゼロから論理を積み重ねることなど不可能だ。現場の時間進行と、思考の時間進行が同期しないと(間に合わないと)どうにもならない。「よく考えること」自体が害になることだってある。

ところが、人間は(何か決めるに際して)「分かってしまわなければ」不安なのだそうだ。ところが全て分かることなど現実の生活では不可能。そこで「とりあえずわかる(わかったつもりになる?)」方法として我々は知らず知らずのうちに「省エネ」思考法(ショートカット)を身につけた。それがヒューリステイックと言われるものだ。場合によっては直感といってもよいが「とりあえず、こう考えておこう」「こんなことだろう」というものだ。ヒューリステイックは(結果がビンゴの時には)とても便利な思考法なのだが、一定の方向に歪むことがある。それがバイアスと言われるもので、場合によっては落とし穴になる。「事故」や「失敗」「損失」に繋がる判断をしてしまうというわけだ。

著者は、ヒューリステイックだけでなく、集団や環境・・といったさまざまな要因が私たちの意思決定に影響している、ことを説明する。

主なヒューリステイック(バイアス)にはこんなものがある。

1)  代表性ヒューリステイック:典型的(と主観的に思っている)ケースに判断がひきずられてしまう。

例)猪木さんは息子にプロレスを教えていました。でも、猪木さんは息子の父親ではありません。では、ふたりの関係は?

例)「ビデオカメラどこがいい?」「ソニーならいいんじゃない」

例)ノロが流行って混んでいる冬の午後、外来。「下痢、嘔吐?」「あれだよ、あれ。ノロにきまっている!」患者を見るまえから「診断」がついてしまっている。が、下痢や嘔吐なんてたくさん病気がある。

2)調整とアンカリング:アンカリングというのは錨を下ろすこと。判断が主観的に正しいと思っていること(最初の情報や印象によることが多い)から離れられない。その後の情報も主観を補強するように考える。つまり「その枠内(つまりアンカーの届く範囲内)」で解釈、納得、判断してしまう。場合によっては、こじつけてしまう。「こんなことだってあるさ」

例)「ヨドバシで980円のところ、本日、当店790円」(ヨドバシを基準にしているがヨドバシが基準価格でもないし、安いとは限らない)

例)(想定した診断とあわない症状・データがあるにもかかわらず)「中にはこんな患者もいるさ」「以前そんな患者もいたし」

3)利用可能性ヒューリステイック:たまたま記憶に残っていたり、その時、その場で思い出せることが、実際に「多い」「正しい」と考えてしまう。

例)「あっ、そうだ。この前、先輩の○○先生がこうやってうまくいったと言っていた」(データよりも、身近な先輩の話のほうに現実感や説得力を感じてしまう)

例)最近、読んだことがある文献に出ていた。「そーだ、あれだよ、あれ。あれに違いない」昨日の新聞に出ていたことと似ていたら、もうそれに違いない、と思いこんでしまう。

4)使ってしまったコストは戻らない:ショートカットの判断が途中で訂正に「抵抗」がなければ大きな問題は起きない。ところがドツボにはまることもある。「埋没費用」といわれるものだ。もう使ってしまったコスト(お金、時間、労働、心理、・・・・)にその後の判断が影響されてしまう。「使ってしまったもの」はもとには戻らないのに・・・

例)「ここまで頑張ったんだ。ここで引き返すのは・・・・」と深みにはまる。何十年も前に計画したダム建設や核燃料サイクルが(本当は今や不要・不可能なことが皆わかっているのに)やめられない、ようなこと(まあこれは利権なんかもあるんでしょうが)。

例)麻酔導入時に気管内挿管ができない。麻酔医2人は交代で試みた。でもダメ。そこに「どうした、どうした」と同僚たちがはいってくる。「今度は俺が」「よーし、今度こそ俺が」と・・・。

 本当は気管内挿管をある時点で諦めて、違う方法での気道管理を考えたり、手術を中止(麻酔を中止)して覚醒させる決定をしなければならない。にもかかわらず同じことを続けた結果、声帯浮腫、喉頭浮腫で本当に換気ができなくなってしまった。結果、低酸素血症で死亡。(「麻酔エラーブック」という本に「引き際が肝心」という章があるので参考にするといい。同じ例がネット動画にもでている。人ごととは思われない。当院でもトラブルはある)

(以上は個人レベルの問題だが)人間は社会的動物であるから、「論理」でなく他者との関係や社会的な習慣や環境で「意思決定」が影響されてしまうことがある。代表的なものが「同調」(皆がそう言うなら、違うと思うが仕方ない。皆がそう言うなら、そうかもしれない、と「判断」)とか、「社会的手抜き」(みんなでする綱引きは、人数が多いほど一人一人は力を抜く)とか、「集団浅慮」(みんなで決めたからといって、正しいとは限らない。逆に「イケイケ」となったり、反対意見の人に「同意」を迫ったり、「極端に振れる」決定をしがち)といわれるものだ。

このようなショートカットな決定の仕方は、リスクはあるけれども、人間社会の発展に伴ってそうなってきたらしいということ。非合理だけれども「そこそこの決定」をするという意味では合理的・現実的とも考えられる、といわれているのだ。

「とりあえずの決定」(ヒューリステイック)に伴う「リスク」にどのように対処(予防)するかという、我々が知りたい解答はこの本に書いてないようだ(実は後半1/3は飛ばしながら読んだ。所謂、斜め読み)が、それは別の本を読めということか? 

とりあえず(笑)、「ヒューリステイックな決定」であること、簡単に言うと「仮決定」であることを自覚すること、常に新しい情報(データ)と比較検討すること。「ボトムライン」(変更条件)を明らかにしておくことくらいは必要なのだろう。

* * *

車を選ぶときも

もう一つ面白かったのは、車を選ぶときの心理だ。競合他社(車)との比較を、各項目(属性。性能とか安全性とか、スタイル、燃費など)で行ったりしているが、購入者が最も重視する属性に従って選んだ結果と多数の属性を検討して選んだ結果とほとんど変わらないそうだ。「単一決定ヒューリステイックス」という。このことはデイーラーのセールスマンも知っておいたほうがいいかもしれない(他車との比較などあまり関係がない?医療現場でもありうること?)。

感情

また、感情については「感情的になるな!」と言われるように、一般的には合理的な決定を阻害するかのように言われている。ところが、「決める」という行為自体が感情によって支えられているという。「感情」は「注意資源」を支配し、「注意資源」は知覚判断出力という認知過程や記憶とのやり取りの全てに関わっていることを考えるとなんとなく(ヒューリステイック?)納得できる,ね。

お断り:

「例」はこの本に載っていたわけでなく、私が思いついた例です)

 この読書録は「ヒューマンファクター講座番外5」と重なる記述があります。

 この文章は院内LANに載せたものです。

④ 2022.一部修正しました


 

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