2014年10月4日土曜日

事始別館3 「物語る」 ~「組織記憶」・「現場の言い伝え」~


 連載24で事故や教訓の伝え方について「安全を一人称で」と、次のように書きました。

 「・・・組織や管理者の側からの(枝葉をとり去り)「客観的にまとめた教訓」も必要と思いますが、「当事者」の「物語」が最も有効な(失敗)「技術の伝承」になる可能性があります。「当事者」にとっても「かたる」ことで経験が共有化され自分自身だけのことでなくなり、それで自身も救われる[i]ことになるのではないでしょうか・・・」

 この時は思いつきでこんなことを書きましたが、「そうピントはずれでもない」ことがわかりました(都合のいい情報だけを集める「思い込みエラー」の典型かも知れませんが、ははは・・)ので頭に乗って、もう少し・・・
心理学でこういうことが「物語化」として記憶や思惟にとって効果のあることとして認められているというのです。

 認知心理学の筑波大学の海保博之先生は「物語化」の効果を次のように指摘しています。(括弧内は私の解釈)
   
  1)   物語化すると良く記憶できる
(物語を作ると、頭の中にある知識を使うことによって、覚えるべきことがその知識に結びつけられる。これが覚えるのにも、思い出すのにも効果的に働く、というのです。また「物語化」は記憶術に共通しているそうです)

   2)   考えるにも、物語は役に立つ
(「思考における具体性効果」というのだそうですけども要するにAだのBだのというよりも具体的なものを題材にするほうが考えやすい、ということのようです)

      3)   物語は人を感動させたり納得させたりすることが出来る
(人に語りかける場面などでは、事実や意見、主張だけよりも、物語があるほうが納得してもらいやすいといいます)

   4)   物語は自分の身の丈にあった思惟活動をうながす
(物語は既存の知識を使って行われるわけです。既存であるから、背伸びをする必要がありません。これが優れている、というのです。また頭の中の知識を使うのですから、その活性化と更新・再構造化がはかれるわけです。頭の中で、知識の間に新たなリンクが形成されることになります。連想が拡がったり、知識が豊潤化されたりということでしょうか)

   5)   思惟活動に感情の味付け
(ともすれば無味乾燥なシンボル操作だけの思考になりがちですが(感性の入らない要点だけ、ともいえますが)そこに感情の味付けが入ることによって「暖かさ」「現実的な」思考になりうるというのです)

 実際、JR東日本では「ヒューマンファクター(ヒューマンエラー発生のメカニズム)を踏まえた体験的レビューを繰り返すことがエラーの起きやすい作業状況の予測など事故防止の力になる」と「体験的レビュー」の共有化を行っています(JR EAST TECHNICAL REVIEW No.3


ハンガーフライト ~「組織記憶」~

 統計的な事実はそれとして、人間というのは他人の経験談の方を重視し、印象に残る、ということはどんな職業でも昔からあります。

 よく例に出されるのは、航空のハンガーフライト。昔は天候が悪いと、飛行が中止になることが多かったのでしょうか、そういう時には格納庫(ハンガー)の中に車座?になって先輩の話を聞く習慣があったそうです。そこでは「マニュアル」にないテクニックや自慢話とともに、失敗談、ゾッとした話などが、先輩から現実感をもって語られました。(「あの時、○○を用意しておいて助かった」「君らも・・・」)
 マニュアルや手順を教えられるのでなく、危機に瀕したその時「当事者が何を考えたか?」を聴くことが出来るのですから印象に残らないわけがありません。

 このような、先輩からの言い伝え、戒め、などはその組織・職業などによっていろいろあるようで「組織記憶」と呼ばれています。出来事、概念、経験、一昔前のノウハウなど、その集団における知識(知恵)の集積ともいえます。

 我々の現場にも同じように重症例や死亡例を話し合う「カンファレンス」がありますがそれは「オモテ」の教育。これに足りないのは「経験した個人の視点」、その時当事者は「何を想い」、「どう考えたか」というどちらかといえば「ウラ」(本音)の話です。結果的に正しいこと、間違ったことはカンファレンスで知ることが出来るでしょうが、明日、同じ現場に立つかもしれない我々がほしいのは「生々しさ」であり、そこから「生還できる希望」です。その理解を助けるのは「一人称である経験者の視点」であり、「ストーリー」だと思うのです。

あなた自身が苦杯をなめた経験を印象的ストーリーに


 私たちの周りでも「AのときはB」なんてマニュアルを教えられるよりも、経験で味付けされた「物語」として話された方が印象に残りやすく、「真実」(真意)も伝わりやすいことは良く経験されるところです。もしも、あなたが話す側に立った時には、失敗例をできるだけわかりやすく印象的なストーリーとしてまとめることが必要です(注③)

 もちろん、この時注意しなければならないのは、単なる年寄りの自慢話になってしまわないことです。


やはり、「思い込み」には気をつける

   先輩の失敗談や危機脱出例は、たしかに生々しく印象に残りますが、聞く側はそれを絶対としないことも必要です。この連載で何度かとりあげたように人間の判断には(条件が切迫しているほど)どうしても思い込みが入ります。逆に言えば「先輩の話」などというのは「利用可能性バイアス」(連載記事「バイアスの罠」参照)の典型でもあるのです。鵜呑みにせず、吟味して、それぞれの経験に含まれる真実の一端をつかもうとすること。絶対でなく、囚われずに、参考資料の一つとして、事実と付き合わせること、自分の頭の中で再構成して理解することが必要です。

 このことは「know howよりもknow why」という教育にも共通する考えのような気がします。

 「事故のモンタージュ」シリーズ(全日空)などもこんな視点から書かれているような気がします。














➀リーズンの「組織事故とレジリエンス」にコントロール不能となり、エンジンだけのコントロールでス―シテイ空港に不時着した機長のPTSDの話が載っています。事故から数年たち、ようやく人前で話できるようになった。 それを繰り返すことで「薄皮が一枚一枚はがれるように楽になっていった」とあります。ヒーローでさえそうなのです。





②この文章はヒューマンファクター講座番外4の「物語化」と重なる記述があります。



③シドニーデッカーの「ヒューマンエラーを理解する」の18章(現場員の責任はどうするか?)に「責任の新たなモデル」として当事者のストーリーについての記述があります。

「・・・ストーリーとは思い出しやすいシナリオのある筋書きであり、登場人物、主題、発端からクライマックスに至る起伏があり、そして結末に至る。この結末は何らかの形で人々が現在抱えている困難な問題に投影できて、出口を見つける助けになる。インシデント報告システムはこの効果を資産として利用できる。これとは逆に、罪を問うような「説明責任」は実のところ、ストーリーを語らせるこの方法の素晴らしさを台無しにしてしまう。それは、ストーリーを話すことのメリットを、人々から入口で奪ってしまうからだ」

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