2014年10月8日水曜日

事始別館 4 「ああ!みんな死んでしまう!!」~ 「火事場の馬鹿力」か?「レジリエンス」か?~


深夜、病院の非常電源系がすべてダウン

集中治療室は真っ暗・人工呼吸器もモニターもすべて止まってしまった




1月のHFseminarでは昨年の院内改修工事後に起こった「ICU停電事故」(院内の「非常電源系」が全てアウト)について考えました。

機器のちょっとしたトラブルに設備(設計)の不具合が重なり、事故が拡大した事態でした。当夜の夜勤看護婦を中心としてヒューマンファクターの良い面が発揮され(別名「火事場の馬鹿力」)、何とか犠牲者を出さずに済んだ事例です。このことについて考えたいと思います。




尚、この院内LANはほぼ公開されているため「検討」部分にもかなりの省略があります。もし、ご希望があれば個人的に申し出てください.


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*日常業務の延長とはいえない事態が発生したとき、どのように行動し危機を脱するか?の実例として今回の事故を考えてみたいと思います(「素材」の提供で、もちろん「模範解答」はないのですが・・・)




停電事故の経過



・深夜、集中治療室が真っ暗になった。
・稼働していた7台の人工呼吸器が止まり、モニターも消えた。



 10.4.深夜423分突然集中治療室内の電気が消えた。7台の呼吸器が止まり、患者の頭側と監視室のモニターもすべて消えてしまった。


 ICU内のすべての電源やモニターは「非常用電源」になっているはずだった。監視室の室内灯(常用電源系)はいつものようについており、廊下の夜間灯もいつもとかわりないようだった。普通の停電であればほぼ瞬間的に自家発電に切り替わる。天井の照明は「豆電球」に変わるはずだ。その後、最近のコンピュターの入った機器は設定がリセットされてしまう可能性があるので、変化がないか見て回るだけでよい(はずだった)。しかしその夜はちがった。消えたままだった。


 その夜、ICU内で人工呼吸器を装着されていたのは七名(その他病室)。ICUの中には3年目のKが一人、監視室内でモニターから記録を取りだしていた8年目のTだけだった。モニターが突然消えたのでTが周りを見回すと、ガラスの向こうのICUの電気が消え、呼吸器も全て止まっている。Tはまっすぐ全く呼吸のできないm(小児)の所へいってバッグをおした。内部にいたKは担当のIのバッグを押し呼吸を確保した。その時ちょうど巡回から二年目Mが帰ってきた。Mは瞬間的に停電とは気がつかなかった。監視室側はこうこうと電気がついているし、ICU内は夜間になれば調光器で暗くしていることもあるからだ。ところがTから大きな声で呼ばれた。「呼吸器が止まっている」「こっちへきてバッグを押して!」。
*注 「バッグ」というのは通称「アンビューバッグ」と呼ばれるもので、蘇生時など手動で人工呼吸を行うもの。


 リーダーのTは定時の巡回で、ICU向かい側の318号に入ったところだった。停電に気がついたTはまっすぐ呼吸不全のhの所へ行きバッグをおした。何が起こったのかわからなかった。ただ、7人の人工呼吸患者に5人の看護婦しかいない。人手が足りない。ICUの中から電話で4階に応援を頼もうとMにバッグを替わってもらい、電話をしようとした。暗がりの中で番号が見えない。なんどか間違ったあと、やっとつながった。「手の空いている人はみんな来て欲しい」(どうしたんですか)「停電で呼吸器が全部止まってしまった」。4階ではその時詰め所にいたのは二人。一人は巡回から帰ってきたところだった。もう一人はまだ巡回の最中だ。しかし、考える余裕はなかった「とにかく」と一人がまず3階へ駆けつけた。もう一人は巡回中の看護婦を呼びにいった。「あなたも行って。ここはひとりでいいから」。
応援の2人が来るまで、Mはこのままでは危ない、廊下はついているのだから、他の部署から電源がとれないかと考えながらわずかに自発呼吸のある患者shoのバッグをベッドの間を移動しながら交互に蘇生バッグを押していた。Mは呼吸管理の経験があったのでバッグを押すこと自体はそれほど苦労はなかった。ただ人手がなく手が放せない。思ったことができない。

応援のOは暗闇の中でいきなり蘇生バッグを預けられた

 4階から応援に行ったOTから「あなたここ」といきなりバッグを渡されたが、そんなことは初めてだった。真っ暗な中で酸素コルベンは全開にされピーッと鳴り続けている。アンビューバッグは酸素で膨らんでパンパンになった。どうしよう、と思った。ICUのKがバッグを外し患者の痰をとってくれた。
 4階の応援が来てバッグを渡し、手が空いたリーダーのTは管理当直(看護婦長)を呼び出した。同時に、当直医、ボイラー、守衛室に連絡した。そのあとICU以外で呼吸器を使用中の部屋を見てまわった。「異常なし、よりによってICUだけだ」

 巡回からかえってきたCには何が起きているのかとっさにわからなかった。暗い中からよばれてkのバッグを押したが真っ暗なうえに、バッグを押すことになれていなかったためスムーズに接続できなかった。
 ICUの中にいたKはiのバッグを押していたが4階の応援、当直医が来てからはバッグをかわり手の足りないs,hの所にいったが、4階の看護婦に替わっていたhyの呼吸が充分でなかったり痰が詰まったりしたことから戻り、サクションをしたあと、自分の場所と交代した。
 管理当直のNはTからの「ICUが停電で大変です。すぐ来て下さい」との連絡で3階にかけつけた。その時詰め所にはTがいて暗がりのICUの中では 看護婦4名と応援の看護婦2名、当直医がバッグを押していた。とりあえず手が足りていると判断したNは何が起こったのか確認するために守衛室に行った。守衛は電話番号を探していたが緊迫感が感じられない。Nは臨床工学技士(CE-Sに電話がつながったのをとりあげ、自分で叫んだ「3階のブレーカーが落ちたようだ。復旧しない。すぐに来て」

呼吸器の電源すべてを生きている廊下からとった

 CE-Sはちょうど父親が車で帰ってきたところだった。Nからの電話にSは「K部長も呼ぶように」と伝え、そのまま車で病院に駆けつけた。450到着。まっすぐCE室から電源リールをもって3階にかけあがった。配電盤を確認したところ異常がない様だったので、生きている廊下から電源をとり、呼吸器のいくつかにつなげた。ちょうどそのころボイラーのOもNに頼まれ電源コードを持ってきたところだった。これでとりあえず呼吸器の電源は確保できた。ICU内の床はコードだらけになったが呼吸器が動き始めた。手が空いたせいで皆少し落ち着いた。
 とはいってもモニターの電源は切れたままで、ICUの中は真っ暗だ。薬液注入のシリンジポンプなどは内蔵のバッテリーで動いている。バッテリーは30分程度しか持たないはずだ。CE-Sは機材庫に残っているシリンジポンプを確認した。このとき幸いにシリンジポンプの数には余裕があった。これを使って取り替えながら充電しようと思った。そのうち朝になるだろう。
 ボイラーのOと3階のブレーカーを確認したが問題はない。外の配電盤のブレーカー(図のこと)を確認したところ落ちており復旧させようとしたが、バーンとはじかれてしまった。Oやボイラー室(設備担当者)には改修工事中のために、ここに配電盤やブレーカーが移設されていることをたった今まで知らされていなかったのだ。
 ICUのなかでは電源をすべて廊下からの電源コードに切り替えていた。やっと皆手を離せるようになった。5時少し前だ。(原因がわからないので)電力の消費をおさえるためエアコンもとめた。そうこうしているうちに偶然電源が復旧した。ベッドサイドのモニターも見えるようになった。少しの間、落ち着いた状態が続いたような気がした。この間に3階の2名は急いで他の病室を見て回った。シリンジの交換、点滴の補充・・・・。

これでなおった、と思ったCE-Sは医師Sと1番ベッドからどこが原因だったのかをチェックし始めた。1番ベッドは数日前電源のトラブルを起こしてブロック交換したものだった。4番までひとベッドづつ電源を「通常」に戻していった。1番ベッドから4番まで終了し 5番(つながった隣の部屋)の電源を切り替えようとしたとき、また停電になった。また、皆ばたばたとICU内の呼吸器の電源をコードにきりかえた。今度は「2回目」なのであまりあわてなかった。バッグを押しながら Sが指示した「いまのところ落ち着いているんだから、これで死ぬことはない、これでいい。設備のチェックは人手のある日勤でやろう」。
 その後しばら-くして、K部長と電気技師が病棟に来た。電源をチェックをしたい様子だったが断った。「今、やっと落ち着いたのだからチェックは人手の多いときにして欲しい」。
 
        *         *         *  
 事故の概略は以上です。
 一昨年来のCRM(HF)セミナーの後半で「問題解決」を学びました。それを思い出して下さい。
日常的に起こってくる「問題」の多くはSOPとか手順書、マニュアルに従って解決できます。多少のバリエーションなら「経験」で何とかなります。しかし、それ以外のこと、まして時間と人の余裕のないような時に何か起こったら・・・というのが今回のテーマです。
 その前にハード的にはどういうことが起こっていたのか?ということです。もちろんその時は何が起こったのかは全くわかりませんでした。

何が起こっていたのか?ハード上の問題(図は概念図です)





「起こったこと」を単純化して考えると
 
1)改修したICUベッド(各8-10個の電源)のどこかの電源と使用機器のあいだに過電流がながれ(ショート)た。

2)その結果、ブレーカー
でなく上流のが落ちた。

3)非常電源系が全てダウンしてしまい、「被害」の範囲が拡大した

設備とその理解の問題・・・


1)被害を限局化するはずのブレーカーが被害を拡大した。ブレーカーの目的は当院では「火事を起こさないこと」だけで「トラブルを限局化する」と言う発想ではなかった。


2)ブレーカーとブレーカーの規格上の容量は「同じ」だった?が、工事時期(業者も)が違いが新しく、はかなり古いものだった。その結果上流に位置するブレーカーが作動した可能性がある。

3)過電流の直接の原因は不明。だがこの設計なら「いつかは起こる事故」だった。集中治療室内は1ベッドあたり頭側に8-10の電源があったが、ベッドごとのブレーカーは設置されておらず、8ベッド分で一つだった。従って、どこか一つのベッドのトラブルで過電流が発生すると8ベッドのすべての電源が落ちてしまう可能性がもともとあった。さらに内部照明なども「非常用電源系」なのでこれも落ちる。


 この事故後、原因不明のまま、の容量の「差」を付けると同時にベッドごとのブレーカーをつけ、その位置と存在を周知した。


4)「論理的」に「非常用電源」として(設計概念的には)「二重安全」のように理解されていた(図の青線)。実際には単一の回路であったため他の電源まで全滅した。この認識はだれにもなかった。
 設計図上は離れていても、実際には共通だったり、すぐそばで影響を受けやすい回路などの事故は別に新知見ではない。時々報告されている。1985年の日航機事故なども、油圧系は独立していたが、回路が集中する箇所が2次的に損傷を起こしたことで操縦不能になった。その他にも熱を避けたほうが良い回路と発熱する回路が設計図上は離れていても、実際はすぐ近くに置かれていた(上下など)、というようなことは比較的知られている事象である。「現場を見ろ」というのはこういうためであり、自動車の設計などでは、全体像を把握している「主幹」という役目の統括技術者がおかれている。それでもいろいろなことが起こる。


5)非常電源が一般に認識されている「非常用」でなく「(電力会社からの)停電用の電源」との周知がされていない。院内配線のトラブルは想定していないため、起きた場合の対策がない。


6)そのほかの「非常用電源系」といわれるものの確認が必要


7)改修後のチェックは難しいその2年後、改修工事後に「非常電源系」から切り離されていた配線(天井に張り巡らされた患者モニター受信用無線アンテナ用の電源)があったことがわかった。その前年の非常電源定期検査では見逃していた。患者モニターは詰所のモニター本体でも直接無線を受けるため、「全く無線がダメという事態にならない」ことが発見を遅らせた。この間、幸い電力会社の停電がなく、自家発電も起動することがなかったので「症状」が現れなかった。定期検査で2年見逃された原因はSafetybird28 「そっちはOK?」を参考に。


マネージメント


1)非常時の連絡体制が不明(工事直後の初期トラブルである今回も、そのまえも)


*以前にICUに搬送途中の患者がエレベーターの停止事故で中にとじこめられ増悪した事故があった。その時も連絡体制の不備が問題になった。それが改善されていない。「規定」に従って非常の連絡・対応をするのでなく、自分で解決しようとして、時間を浪費した。非常時は、現場で何とかなる可能性があっても規定に従った連絡・対応をまずすべきである。


1)2 業者・担当者の連絡先が病棟や夜間の守衛室になく「事務室」にだけあった。事務は夜間不在だ。必要なところに必要な情報がない。


2)現場設備担当者に非常用電源、ブレーカー移動などの周知がなかった。完成していないとはいえ実際に使用し始めていた現場は混乱した。情報の共有化のありかたに問題を残した。


3)非常用電源と通常電源の違いなどは誰も認識していなかった。


4)現場のマネジメントとして、原因を考えるよりどういうことがおこっているのか”“どうやってのりこえるか生きている電源と単純に「使える人」を考えたことが被害ゼロにつながった。


 (当直医はいたが)自宅から他の医師を呼び集めるのでなく、直ちに利用可能な「その時の」院内の人間を活用したことが良い結果になった。何でも先に医師を呼び集めようとすると時間がかかったはずで、医師を呼んでも解決しない(猫の手にはなるが)。


                      


well done」ともいえるこの事故を題材に、昨年来学んだCRMのスキルを使って


1)situational awareness


2)use of resource

3)team building

4)create solution

5)do and workload management

6)problem solving,critique,monitor 

 について考えてみたいと思います。

 そして次の「もっとこうすれば・・」から危機管理の原則を考える事ができれば、と思います。




シェーマはJASCRMの資料から勝手に図式化したもの






(「院内的すぎる」検討なので、一部非公開としています)




その夜現場にいたメンバーは何が原因でそうなったかを十分把握したわけではありませんでした。しかし、このままではどうなるのか、何を優先しなければならないか、何が使えるか、を最初の1分で「状況認識」(動物的な勘?)したのだと思います。

その上で、深夜帯での少ない「リソースを活用」し即席にチームを作りました。他部署も応援の要請に(細かなことは一切問わずに)即応しました(通常の対応しか出来ないところもありました)。そして、その状態で何ができるか、最低限確保しなければならないことを決め実行。即席のチームは年齢も経験もバラバラでしたが、確保する業務をしぼったことでなんとか実行可能となりました。こうして外部からの「手」が集まり始めるまでの約30分の危機をのりこえたのです。

                       
 いま考えても信じられない程うまくいった「火事場の馬鹿力」なのですが、これもプラスの意味でのヒューマンファクターなのです。

 テキストやマニュアルがあり、それで教育されたことなら、それにしたがって何とかすることができるでしょう。しかし、マニュアルが想定していない事態が起こったときどうするか?CRM(最近のことばではレジリエンス)がよく発揮された例だったと思うのです。患者と病院は、その時の数人に救われたといってもいいでしょう。

実際、当夜、院外から唯一駆けつけたICUの医師は、翌日の朝刊やテレビカメラの前で、首をうなだれ、「バチャバチャ」とシャッターを切られている院長と自分の姿を覚悟しながら病院に向かってきたといいます。

               


残された問題


1)「良好事例」をどのように伝えたらよいのか?という問題。これも意外と難しいことです。 インシデントや事故は、原因を見つけ、それを無くする(あるいは周知する)という眼に見える対策が可能です。しかし、現場でなんとか問題を解決し「傷害」がなかったことなど管理者はすぐ忘れる傾向があります。

管理者にとっては、危なかったことなど、「無かったことにしたい」「うまくいったのだから蒸し返したくない」というのも本音なのです。

職員に対してどのように伝えるか?
管理者に対してどのように伝えるか?理解させるか?
という問題が残りました。

結局、正規の報告書は作成されず、病院職員の年末の会合に当日の勤務者(看護師、技師、ボイラー当直者ら)を表彰しただけでした。この説明もきわめて曖昧なものでした。


2)この夜、リーダーシップを発揮したのは「ICUのベテラン」とか「役付き」の看護師ではありませんでした。このシフトのリーダーは私たちグループとよく話すNSで、事故防止との関係でアサーションなどを講義してくれたこともあります。「自分の頭で考える」をモットーにしているようなところがあり、従って、看護組織的には「評価」が高いわけではありません。そのことが逆に自律的行動に結びついたのではないか、と思われました(本人はCRMという言葉と概念は知っていましたが、レジリエンスとかNTSとかの概念はまだ私たちも知りませんでした)。[i]


3)このレポートは、事故調査などの経験のない私(たち)が事故の2日後、タテヨコに時間軸と人の交錯する図をつくって、できるだけ「その時の思い」と「行動」を聞きとり、経時的に記録したものを文章化したものです。聞き取りの対象としたのは、その日の深夜勤のすべての階の看護師、守衛、ボイラー担当者、駆けつけた臨床工学技士まで、その夜病院にいたすべての職員です。


4)このレポートは院内LANで一時公開(状態)していました。しかし、こんなことで良いのかと思うのです。もっと、きちんと検証すべきではなかったか、と。せっかくの「良好事例」を生かし、想定外の危機を乗り越えるためのチームトレーニング(CRM)を正規のプログラムとして考えていくチャンスだったと思うのです。

5)「過電流?」の直接の原因は結局わかりませんでした。当初は単純な過電流を疑いましたが、その証拠は見つけられませんでした。電圧の変動も何日も調べましたが、使用されている医療機器の許容範囲でした。EMIも調査してもらいましたが、明らかにはなりませんでした。

 原因不明のまま回復した?のですが、リスクは排除されていないと考え、ベッドごとに電源ブレーカーを設置しました。「事故はまた起きる」⇒「事故の拡大を対応可能な範囲にとどめる」という考えです。




  危機に立ち向かう現場のリーダーのために、さまざまな研究者、実践者が「想い」を言葉に残しています。


  安全の原点は、結局自分で考える思考力を養うことにある(自律)
  自分の職務に誇りをもつ。仕事の本質は何かと考える。その時、自分の職業に「腹をくくる」
  正しいことをやるのではない、正しいと思ったことをやる。それ以外ない。
  やると決めたら、サッサと行動する
  「損得よりも善悪で」、あとでばれて恥ずかしいようなことをしない
  業務の遂行能力は赤血球、危機管理は白血球。白血球としての能力も高めよう。
  なんとか生き延びることを考える。何をしていれば「次」の可能性に結びつけることが出来るかを考える。
  原因の追究よりも「今」を最小限の被害でのりこえる。それ以降のリカバリーはあとのチームが助けてくれることを信じる意外ない。
  生き延びさえすれば回復の可能性も残る
  教訓を現場のことばで残す


今までと違って、少し「根性主義」的かもしれません(苦笑)。


 しかし、小松原先生(早稲田大学)によると、どんなにプロフェッショナルでも、技術的な問題やノンテクニカルスキルの外側に、仕事に対するマインドとか「畏れ」とかが重要、ということでした。「根性さえあれば」とは思っていませんので誤解しないでくださいね。
 芳賀先生がレジリエンスの講演で、「うまくいったこと」から学ぶときに、「よかったね、で終わらせない」と述べておられますが、いまになって本当にその通り、と感じています。


この文章は院内LANに載せた記事(停電事故の報告)を一部省略して掲載したものです。


の部分は今回付け加えたものです。

















[i] 「組織事故とレジリエンス」のなかでリーズン教授は「驚異的なリカバリー」のもっとも大きな要因として「適切なひとが、適切な場所にいた」という言い方をしています。個人として、そして組織の中でどのように育てられてきたのか、という研究が重要(レジリエンス)になります。


(2) (2015.10.追記
 漏電、過電流という事故により、ブレーカーが遮断され、その系に接続されている機器がすべて停止してしまう、という事態は、比較的一般的なトラブルのようです。しかし、その上流のブレーカーが遮断されてしまい「障害」が拡大してしまうということは、病棟の改良工事の影響であることはまちがいありません。ブレーカーの①と②の容量の差を明瞭にすることや、メーカーを同一にしておくことも事故の予防になります(違うメーカーで「同じ容量」というものを比べた場合本当にそうか?となります)。最近では、漏電がおきてもいきなりブレーカーの遮断とはならないシステムがあるようです。アイソレーションシステムといって、重要な医療機器を使用する医療室に設置され、漏電や一時的な過電流がおこると、遮断のまえに、警報が鳴り発生を知らせるシステムになっているようです。ただ、全てをこのシステムにするわけではないので、生命維持に重要な機器をこの電源につなぐようにしているようです。(当院は、事故のあと、ICU各ベッドごとの独立したブレーカーにしました。また、各ブレーカーの設置場所も集中治療室のすぐそばにしました。このほうが、「システムが単純で見えやすい」と考えました)

 「病院電気設備の安全基準」(2006)などというテキストもありますが、1ベッドあたりの電源の数にしても、容量にしても、設計・改修などをする場合、現実の使用状況を知っている我々(現場)が、「どうすれば、トラブルをおこさせることができるか?」という「テロリストの眼」で考えることも必要だと思いました。(講座「どうすれば事故を起こすことが出来るか?」も御覧ください)「サボタージュアナリシス」あるいは「active KY」法とでもいいますか・・・・・


注 アイソレーションシステムは医学会新聞3122号(2015.4.20.)木村政義氏の寄稿を参照しました。

注 その後2018年のブラックアウトは病院の建て替え中で したが、非常電源系(自家発電)は正常に作動しました。ただ長時間のため発電機の燃料の確保に手間取りました。スタンドでポリタンクでの販売は一回量が(法律で)制限されていますし、タンクローリーはいつ来るかわかりません。この時、たまたま新病院の建設現場にあるクレーンなどの重機から燃料を抜き、病院に供給することで最低限の病院機能を維持することができました。その後、建設会社のタンクローリーが駆け付けてくれました。これは、建築会社の若い現場監督のアイデアでした。2021.

 

     




                  












   









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