2014年12月14日日曜日

事始別館 9-1 達成された安全は人の目を引かない(1)(2005.7.)


2005年にHF講座に以下の文章を掲載しました(番外13が、このテーマはこの数年、医療分野の安全でも取り上げられる「レジリエンス」とも共通するように思います。ひきつづき、考えてみます(9-2、9-3,9-4
 
達成された安全は人の眼をひかない(1)(2005.7.)

~9999人が正しいことをした~


 いわゆるインシデントレポートは(多かれ少なかれ)何かが起こってしまった、その当事者は(多くは)自分だ、というわけでどんなに無罰報告制度だといっても提出を躊躇させるものがあります。


 ところが、事故発生の確率が10000回に1回として、じゃあ起きなかった9999回は、誰かが何か正しいことをした、(予期せぬ)緊急の事態が発生したが優れた判断と技量で事なきを得た、と考える発想があります。そこから得られるものだってインシデントレポートや事故の教訓と同等かそれ以上の価値があるのではないか、という考え方です。


 その特徴を考えてみます。全くの思いつきですが・・・。

1) 良好事例は積極性を呼ぶ

 インシデントや事故の分析から得られるものはどちらかというと(もちろん機器やシステムの改良もありますが)「あれをしないように」「○○にならないように」といった「後ろ向き」「規制的」なものになりがちな印象があります(場合によっては、より働きにくくなる)。ところが良好事例からもの考えるということは、もっと人間の能力や特性を生かす、という意味でより組織に「積極性」を与えることが出来そうです。


2) 良好事例のほうが多い

 当然、「何も起きなかった」良好事例のほうが多いわけですから教訓となる事例が必ずあるはずです。


3) マニュアルにない(あらわすことができない)経験の共有は組織の潜在力となる可能性がある

 失敗経験の共有(失敗から学ぶ)も「安全・確実」に事をおこなう、「危険をさける」という意味でもちろん大切ですが、「成功経験」「良好事例」の経験を共有することで何かが起きたときにも希望を最後まで捨てずに頑張ることが出来るかも知れません。工学系の話ですが「失敗学」の畑村先生は成功例を「闇夜の灯台」と表現しています。私達の世界だって、(いまや「エビデンス」ばやりで、大規模臨床試験でなければ価値がない、かのような風潮がありますが)「成功例」「症例報告」の存在は、すくなくとも「あきらめない」という根拠になりますし、悩める現場の人間(医療者ばかりでなく患者さんも)を勇気づけることもできます。


4) 「あつめること」が以外と難しいかもしれない

 日本人的感性からすると、自分の成功経験を積極的に他人の前で話すようなことは(「自慢」とうけ取られることを嫌い)あまりなじまないかも知れません。その結果ケースが集まらないおそれもあります。「良いことをした自分自身」も気が付いていない場合だってあります。


HFの眼(耳?)をもって聞き出す


 また、あまり時間をおくと「枝葉末節」が取り除かれ、格好のいいところだけが(本人の)記憶に残ってしまうことになります。そうすると本当に単なる「昔の自慢話」になってしまったり、「○○には◎△!」といった短絡的な教訓として記憶に残ってしまうおそれがあります。ですから記録する私達は、どういう事態が発生し、どんなふうにして気が付き、そのときの内面的な感情も含めてそれをどのように理解し、どんなふうに解決しようとしたのか?をHFの眼(耳?)をもって聞き出す必要があります。


「達成された安全は人の注目を引かない」しかし・・・


 達成された安全は人の眼をひきません。

 滑走路では航空機が2分をおかずに離着陸を繰り返し、JRの遅延は全国平均1分以下だといいます(首都圏ではより少ない)。私達の職場でも何気なく手術室にはいり、何気なく(時々はバタバタしますが)病棟やICUに戻ってきます。

 しかし、このことは100%確立されたシステムが当たり前に稼働している、ということを意味しているのではありません。そこでは(「危険の海」の中にあって)だれかが(9999人)正しいことをしたから、正しい(よい)判断をしたから、飛行機は無事着陸し、新幹線は定時[1]のまま「死亡事故ゼロ」を続け、手術室から患者さんは戻ってくるのです。

 「達成された安全」はともすれば見過ごされ、誰からも注目されることはありません。しかし、その中にもインシデントや事故の分析以上に得られる教訓があるはずです。エラーとその要因ばかりを追っているように思われがちなヒューマンファクターズですがこういう「積極的」な見方もあるようです。


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 「ご苦労さん」「大変だったね」という前に・・・・

 当直や夜勤をしていて、夜中に患者さん(の状態)が落ち着かなかったり、急変が起こったり、緊急手術になったりということはそれ程珍しいことではありません。朝までには何とか落ち着いたとして、朝、現れた管理者がいう言葉は(まあ心がこもっているかどうかは別として)こんな言葉です。そして、大抵それで終わりです。管理者としては「結果的に何も起こらなかった」からそれでいいのです(連載の「管理者の・・・」も読んで下さい。本当はそれ以上に興味はない事が多い?)。しかしこんな他愛のない「成功経験」からだって得るものはあるはずです。「どうして気がついたか?」「急変したときにまずなにを考えた(しようとした)か?」「人数の少ない夜勤(当直)人数でどう対応したのか?どう動いたのか?(ワークロードマネージメントですね)」「もっと何があればよかったと思うか?」などなど話してもらう事はたくさんあります。[2]

 事故やインシデントの例をあげ「○○に気をつけて下さい」も大事ですが現場の小さな「成功例」「危機脱出例」「失敗回復例」を率直に報告してもらうのも、チームのパフォーマンスを強化することにつながります。


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[1] この原稿を書いた後で福知山線の事故がありました。「定時への圧力」や「回復運転」が問題になっていますが、そこで働く人間に負担がかかるような形の「定時運転」はエラ―の誘因となることはあきらかです。ここではそれに耐えて頑張れといっているわけではありません。それほど負担のない日常業務の中でも、想定外(内)の突発的な危険因子は降りかかっており、それを想定しています。

 福知山線事故に関しては、「運転士のスピ―ドオ―バ―が原因か?JR西日本の体制か?」などという漠然とした話ばかりでなく、台車や異常な共振などのハ―ドの面からもきちんと調査して欲しいものです。


[2] 実は一度だけこういう調査をしたことがあります。真夜中にあるトラブルが発生し場合によっては最悪の場合一度に数名死亡となり得た事態でした(結果的には無事)。その調査をする時に、VTAはよく知らなかったのですが横軸に時間、縦軸に人、患者、物をおき、その時何が起き、どんなふうに感じ、どのように行動したか、そして相互の関連は?というような記録を作っていったことがあります。それをもとに(ほんの少し脚色した?)ドキュメントをつくり院内LANに載せました。また、「良いことをしたときにはみんなの前で誉めるべきだ」と院長に答申して、その時の夜勤チーム(看護婦ばかりでなく、駆けつけた技師やボイラーマンまで)を公の場で表彰してもらいました。教訓としてここで書くことの出来るような「1.何々・・」とはなりませんが、ある突発的事態が起きたときの状況認識、チームの作り方、業務の分担、リーダーシップがうまくいった例だと思います。

 「ご苦労さん」というねぎらいも大事ですが、(表彰もふくめて)「記録(+記憶)に残す」「知識化する」ことはもっと大切だと思います。(そうでなければ、「知らないうちに、みんながよくやってくれて、結果的に被害が何も起きなかった」ことなど管理者は簡単に忘れます)(2005.7.記事アップ)


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