管理人からの情報

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15万アクセスありがとうございます.(2014.12.)100000アクセス感謝  2010.2.

★ご意見をいただいた方・読んでくれた方 すべてが「仲間」


院内で(小人数の勉強会の資料をもとに)細々と連載していた記事を、おそるおそるWEBに載せてみたのがはじまりでした。Yahooに「カテゴリー」での掲載を依頼したところ運良く数日でOKの返事がきました。このHPが優れていたわけではなく、医療事故が話題になりながらも、ヒューマンファクターという視点で取り扱ったサイトがなかったからでしょう。

私たちにはっきりとしたゴールが見えているわけではありません。
同じように、CRMもそれを支える思想や背景への理解なしに、ツールとしてスキルだけ「導入」しようとしてもしかたがないように思います。航空界のCRMが効果を上げているのは、それを支える安全文化への歴史が組織(航空界)全体にあるからです。そして、時代錯誤の裁判(2008東京高裁の管制官有罪判決)は別として、社会的にもその取り組みが認知されているからです。私たちはその背景(文化)から学ぶ必要があると思います。「スキル」としてだけ考えていたとしたらまちがいです。「産業界に学べ」、ということと「まねる」のは大きな違いがあるのです。小さな現場でCRMやHF思考、HFの眼を訴えてきましたが、それと「スキル」に類することの間をきちんと「つなぐ」(うまく言えませんが)ことが必要だと思っています。

この2年、「医療安全委員会(仮称)」騒ぎのせいで「医療安全」そのものへの取り組みが背景に退いてしまったような気がします。私たちの意識も残念ながらあの委員会の問題から離れることがありませんでした。そもそも、構成する委員の多くは現場の私たちとは目的が明らかに違っています。将来にわたって混乱の源となり、医療崩壊にとどめを刺すような組織はいったんリセットし出直す以外ありません(僕自身は東大の出月先生や救急医学会の提案に賛成します)。

先人は「(危険と)戦い続けることだけが、現在の安全を保つ唯一の方法」といいました。現在、医療事故も(特定の誰かがおこした、特別なことでなく、われわれの働くシステムの中でおこっている)「新たな疫病」(講談社)として認識されるようになっています。「疫病」と戦うのは、決して司法でもお役人でもなく(敗戦処理としてでもない)医療者自身が立ち向かう「新たな医療」の一分野と認識されつつあるのだと思います。実際、ほとんどの病院で医療安全委員会が作られ、それなりに機能し始めています。さらに、いくつかの施設では、HFやCRMを取り入れた安全教育やシミュレーターを使用したチームトレーニングに取り組まれています。

本当に10万アクセスありがとうございました。


院内での連載時にはほとんど反応がありませんでした。ところがWEB上では(掲示板のほかにも)ご意見を寄せてくださる方が少なからずいらっしゃいました。なかでも「おもしろいよ」と感想をいただけたことが一番の励ましになりました。また他分野のかたからもたくさんご意見をいただきました。楽しんで目を通してくれればいい、そして何かを気付いてくれればいい、ご意見や間違いの指摘などをいただければなおうれしい、と思っていました。ご意見だけでなく、資料やご自分の著書を送ってくださったかたも何人もいらっしゃいます。ご意見をいただいた方こんなページを読んでくれたか方、すべてを「仲間」のように感じています。

★ゴール?

しかし、ヒューマンファクターを自分たちなりに学んでいるなかで感じてきていることは、私たち自身の(事故やインシデントばかりでなく)ものを見る目、考え方の変化です。さまざまな事象のなかの「人間」を考えるようになってきているように思います。十分に表現できませんが、「安全第一」というより「人間第一」にものを考えるようになってきているようです。(頭の中の)「考え」だけでなくきっと「行動様式」にも変化があらわれているのではないかと思っています。
エラーを無くすることがゴールか?というとそうは思いません。ヒューマンファクターの理念からしてそんなことはあり得ません。それよりも、自分たちがやりがいをもって、人間らしく生き生きと良い仕事ができるか?その中で、事故に至る過程をどれだけ減らすことができるか?(逆ではありません)。そしてエラーや事故からの修復力・回復力・吸収力(ヒトも、組織も、システムも、そして医療の場合行為の対象である患者も)をどう作るか?そこに自分という人間(自分のチーム、組織)はどうかかわることができるか?ということが今、意識の中心にあります。まだうまく表現できません。

現在「質」の管理との関係でも医療事故が扱われます。しかし、産業界(装置産業)に形だけまねてTQMを導入し(人間がする人間相手の)仕事を標準化(部品化)すれば解決するかのように思うのもちょっと違うような気がしています(いまのところ「気」だけです。このあたりは僕が「世の流れ」と違っているのかもしれませんが、今後考えていかなければならないことだと思っています。
パスも前に書きましたが本当は好きではありません)。
また、書類の山を積み上げることがまるで「正しい安全対策」のようにうたわれた、いわゆる「(保険会社型)(監査対策型)リスクマネージメント」の成果はどうだったのでしょうか。

★CRMはその背景から

 同じように、CRMもそれを支える思想や背景への理解なしに、ツールとして、スキルだけ「導入」しようとしてもしかたがないように思います。
 航空界のCRMが効果を上げているのは、それを支える安全文化への歴史が組織(航空界)全体にあるからです。そして、時代錯誤の裁判(2008東京高裁の管制官有罪判決)は別として、社会的にもその取り組みが認知されているからです。
 私たちはその背景(文化)から学ぶ必要があると思います。「スキル」としてだけ考えていたとしたらまちがいです。
 「産業界に学べ」、ということと「まねる」のは大きな違いがあるのです。
 小さな現場でCRMHF思考、HFの眼を訴えてきましたが、それと「スキル」に類することの間をきちんと「つなぐ」(うまく言えませんが)ことが必要だと思っています。






★「事故調問題」はリセットし出直すべき

(所管や目的すらはっきりしない膨大な組織を)「とりあえず作って、悪いところは直していけば」とか「謙抑的」などという(一部の学会幹部や医師会幹部iの)あたかも「現実的にみえる」「おとなの意見ii」は(お上とわれわれはそもそも対等ではないので)絶対にだめです。法律でもない単なる「通達」が法律のように変わってしまった現実をもはや忘れたのでしょうか?「単なるひとつの学会のガイドライン」がどのように利用されてしまったかを忘れたのでしょうか?問題をはらんでいることが明らかなものを拙速に作ったとして、それを「改善」するのは新しく作る何倍ものエネルギーを必要とすることはどんなことでも同じです。疲弊し崩壊しつつある現場にとどめをさすことになります。それを狙っているとは思いたくないのですが・・・・。

「調査」と「捜査」の分離。これは絶対に譲れない点です。このことはこの30年間の世界中の事故やヒューマンファクター研究によって疑いのない常識となっています。これこそがあるべきグローバルスタンダードといえます。ヒューマンエラーを司法が裁くことは、「真相」が明らかになるわけでもなく、関係者のだれも満足せず、現場は委縮し、より一層の弊害を招くことはあきらかです(「ヒューマンエラーは裁けるか」東大出版)。
そもそも「ヒューマンエラー」などという概念などなかった時代の「刑法iii」をもとに「エラーをおこした誰か悪い奴」を「挙げなければ」と考えている方たち(そしてそれを機会に自分たちの影響・組織の拡大を意図する人たち)が同じテーブルで安全を考えることなどはじめから無理なのです。「医療事故は犯罪だ」とか「応報」と公言する厳罰主義の刑法学者の座長のもとにある現在の「事故調iv」はリセットし、(当事者でもある厚生労働省をはなれた)3条機関を前提として新たに議論する必要があります。また救急医学会が提案する自律的調査機関も十分検討すべきですが、「自律」に役人が関与するようなことは許されません。この件に関して厚労省が医療側だけでなく「国民」(患者)のために行動しているとはとても思われないからです。

★危険と戦うのはやはり「人間」

2001年に地方の小さな病院で自称HF-CRMセミナーをはじめて以来、「個人に頼った安全を否定してきた」このサイトですが、(責任追及でなく)「しかし、最後は人間」という結論は2003年のサイト開始時(院内でのHFセミナー終了時 講座28)以来かわりません。その「人間」の自律性、創造性に期待し、人間が「生き生きと働き」「行動」「判断」し易いしくみ、環境・文化、を作ることを訴え続けたいと思っています。「ジグザグのアプローチはあなたの自身の組織から」(「ヒューマンエラーは裁けるか」13章」)です。

★感謝

(偉そうに「講座」などと書いてある)各章とも、本来内容的な改訂が必要なことは自覚しているのですが、「活動の足跡」ということであえてそのままにしてあります。いま、私たちが読んでおかしく思うところもたくさんあります。直接・間接に指摘してくださる方もおられます。「もう一歩ステップアップしなければ」と「尻を叩いて」くださる専門家もいます。しかし病院という現場で「兵隊としての自分」との二足のわらじであることも「事始」のスタンスだと思っています。「いつまでも素人」と言われても、あくまで現場に軸足を置いた「ヒューマンファクター」を発信していく以外できません。
間違いの指摘など今後ともよろしくお願いいたします。

万一、このHPの記事をご利用されるときには(引用や解釈の過程で私たちの勝手な理解、バイアスが入っています)どうか原著にあたり、確認・修正(訂正)してくださるようお願いいたします。私たちの方にも、ご批判、ご意見、間違いの指摘、ご教示をいただけましたら本当に有難いと思っています。また、このサイトなどを媒介として業種、職種にかかわりなくエラーや事故、仕事の在り方など、本音で話し合えるネットワークができたらなどと「妄想」しています。今後ともよろしくお願いいたします。 (2010.2.管理人S-1、編集人S-2)

i この先の医療を左右する問題に対して、まるで医療者の「代表」であるかのように会議に入っている偉い先生たちは、(架空の?)「医師会アンケート」に示されるように自らの組織員に対する説明責任(や意見の集約)を果たしていないばかりか、顔の向いている方向が現場の組織員でも、患者さんでもありません。

ii まるで(案文の)日本語が読めないのか、(パブリックコメントなど)周囲から反対されるほど集団思考に陥ってしまっているのか、他にすり寄る理由があるのか、と考えてしまいます。

iii 「刑法」は明治40年の制定といいます。もちろん「ヒューマンエラー」などという概念などなく、社会構造も大きく違います。ちなみにこのころの平均寿命(男子)43―44歳。お話したことがある刑法学者は「“明治の刑法”を変えられないものとして絶対視することはない。国民の意思があれば変えられる」とも話してくれました。多少の附則や細則はあったとしても、私たちはいまだに100年前の「大日本帝国刑法?」に裁かれていることになります。

iv 政権交代もあり(政権党が対案を提出していたこともあり)表向きは「動き」は停止していますが、厚労省は決してあきらめているわけではないようです。政権交代後も当地で説明会が同じように実行されたり(内容も)、東京女子医大心臓外科「事件」で「被告医師」が全くの濡れ衣だったことが判決でも明らかになったにもかかわらず「行政処分」を行おうとしたり、「現実」を積み重ねるような不遜な態度です。

v 本当はきちんとした教育を受けたいと思っています。今のところ公私とも余裕がなく、このHPが「思い込みの塊」にならないかといつも不安です。

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