達成された安全はヒトの眼をひかない (5)


      
  余人をもって代えがたい人々
助けを求め、チームを組み換えるチーミング

 私も結構「とし」なので、ダメなチームも知っていますし、そのときひとりでに出来上がったすばらしいチームも数多く見てきました。今回は後者についての経験です。だいぶ古い話です。


3つのチーム構成

深夜、救命センターに交通事故の患者が運ばれてきました。ショック状態で、腹部が大きく膨らんでおり、事故の状況から多発外傷、肝破裂が疑われました。

①当直の救急医チーム:
 最近では戦略や検査が進化し、輸血の用意が出来たらただちに手術、とはなりませんがこの時代は「早く止めなければ」という感覚でした。当直をしていた3人(2人の外科系救急医と1人は私のようなペーペー)はOP室と連絡を取り開腹手術となりました。思った通り肝臓は半分以上ズタズタ。それでも大きな血管は処理して、出血は少なくなったのですが止めきることが出来ません。現在のようにいろいろな武器が使用できる時代ではないので、出血している血管を結さつしていくことが基本です。執刀医Aが言いました。「もうすぐ朝だ。朝になれば第一外科のBもくる。あいつは、△▼センターで肝切除を多数経験しているはずだ」と。
執刀医Aはガーゼを繋いで破裂している肝臓にぐいぐいと詰め込みました(多分何十枚も繋がっています)。そして創部を閉じ、その隙間からガーゼの端を外に出したままにしました。大きな血管は処理されているので、低血圧のまま輸血を続けていれば、ショックにはならないレベルです(ギリギリです)。

②肝臓外科医が加わった:
 2時間後外科のB医師を交えて緊急カンファレンス(ブリーフィング)が行われました。「B、もう一度やってみてくれ」と当直で執刀医Aが頼みます。他科の医師が救急センターの手術に入ることは殆どないのですが、今回は特別でした。さらに1時間後Bを執刀医として手術が再開しました。今度の助手は(当直医でない外科出身の)C、Aは術野の外から参加しています。結局Bも2時間以上奮闘しましたが完全に止血はできず、同じようにガーゼパッキングして閉創となりました。

③放射線科医が加わった:
 輸血さえ続けていればショックよりは少し良い状態なのですが、輸血がこれ以上続くと血液が固まりにくくなります。患者さんは大量に輸液と輸血を入れられ、むくんできています。すこしでも、内科的に?コンデションを改善しなければ、同じことを続けられないし、続けても助からない。少し時間をおきたい。同じことをしてもダメだ。

Aはカテーテルによる塞栓術の話を聞いたことがありました。現在では様々な分野で行われている手技(カテーテルインターベンション)ですが、当時はごく一部の医師が、ガンなどの栄養血管に自作の塞栓子(つめもの)を使って血流を途絶させる、と言うレベルでした。そして、たまたまカテーテル塞栓術を試みている医師Dが放射線科にいました。
翌朝、今度はカテーテル室で放射線科のDを中心として、外科医Aが助手となり肝臓の動脈へカテーテルを挿入。造影すると内部の肝動脈から造影剤が漏出しているのが見えました。そこをめがけてさらにカテーテルを進め、自作の塞栓子を注入したところ、造影剤の漏出が薄くなりました。ほっとしたDは「念のためもう一回」と追加したところ、圧がかかって一回目の塞栓子が押し出されたのか、また出血。画面を注視していた周囲スタッフが「オーッ」という中で、こんどは静かにもう一度注入。漏出の減少が確認できたところで終了となりました。
 患者さんはパッキングを取り除くため数日後もう一度手術となりましたが、約3週間後無事退院されました。

かれらも(リーズン教授のいう)「余人をもって代えられない人々」ではないかと思うのです。その特徴を私なりに挙げてみると、

  • やはりマインド:あきらめない。主治医があきらめたらおしまい。私でさえ、諦めなくてよかった、ということは何度かある。患者の生命力や運・チームも含めて全てに期待して・・・
  • 技術・知識:自分にないなら誰が持っているか?を求める
  • 認知の柔軟性:おなじことをいつまでも繰り返さない
  • 助けを求める柔軟性:自分の組織だけで考えない。
  • チームを組み替えてもリーダーは固定。
  • 他科(特に救命センター)の緊急手術に協力する体制が2年まえに全科の責任者間で合意されていた。ただ、実際にそれまで運用されていたのはコンサルトする程度。
  • 救命センターでは時間が切迫したなかで、経験や想定外のことをしなければならない状態がたびたびあった。複数科出身の医師がグループをつくり診療しているため、他科の知識や技術を応用することも比較的日常的であった。
  • ダメージコントロール手術、ダメージコントロール麻酔、その間継続する集中治療:このころから、治療手技自体の進化とともに、このような概念が認められてきた。

その後の診療体制の進化

 小さなことでも「成功体験」、それもかかわったみんなが本当に「良かったなー」と思えるもの、はチームの機能を活性化します。このあと、放射線科と救命センターは、単に困った時に助けてもらうのでなく、週一回合同のカンファレンスをすることになりました。入院時のX線写真やCTを提示し、放射線科からは何を読み、何を疑うかの意見をもらい、救急側は臨床的判断と手術所見を提示し、画像診断を振り返る、と言うものです。救命センターといっても現在と違って、なんの検査でも24時間スタンバイと言う体制ではありませんでしたが、この小さな成功が相方にとって、より良い一歩をもたらしたといえます。

*注 古いことなので、細かな記憶違いがあるかもしれません。現在、この辺の外傷時のアプローチは進化しています。あまり、バタバタすることはないようです。

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