事始・別館 4 「みんな 死んでしまう!」と思った


 危機脱出は「火事場の馬鹿力」か?「レジリエンス」か?


深夜、突然、病院の非常電源系がすべてダウン
集中治療室は真っ暗・人工呼吸器もモニターもすべて止まってしまった


1月のHFseminarでは昨年の院内改修工事後に起こった「ICU停電事故」(院内の「非常電源系」が全てダウン)について考えました。

機器のちょっとしたトラブルに設備(設計)の不具合が重なり、事故が拡大した事態でした。当夜の夜勤看護婦を中心としてヒューマンファクターの良い面が発揮され(別名「火事場の馬鹿力」)、何とか犠牲者を出さずに済んだ事例です。このことについて考えたいと思います。
尚、この院内LANはほぼ公開されているため「検討」部分にもかなりの省略があります。もし、ご希望があれば個人的に申し出てください.
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*日常業務の延長とはいえない事態が発生したとき、どのように行動し危機を脱するか?の実例として今回の事故を考えてみたいと思います(「素材」の提供で、もちろん「模範解答」はないのですが・・・)

停電事故の経過
深夜、集中治療室が真っ暗になった。7台の呼吸器が止まり、モニターも消えた


 10.4.深夜423分突然集中治療室内の電気が消えた。7台の呼吸器が止まり、患者の頭側と監視室のモニターもすべて消えてしまった。

 ICU内のすべての電源やモニターは「非常用電源」になっているはずだった。監視室の室内灯(常用電源系)はいつものようについており、廊下の夜間灯もいつもとかわりないようだった。普通の停電であればほぼ瞬間的に自家発電に切り替わる。天井の照明は「豆電球」に変わるはずだ。その後、最近のコンピュターの入った機器は設定がリセットされてしまう可能性があるので、変化がないか見て回るだけでよい(はずだった)。しかしその夜はちがった。消えたままだった。

 その夜、ICU内で人工呼吸器を装着されていたのは七名(その他病室)。ICUの中には3年目のKが一人。監視室内にいたのは、モニターから記録を取りだしていた8年目のTだけだった。モニターが突然消えたのでTが周りを見回すと、ガラスの向こうのICUの電気が消え、呼吸器も全て止まっている。Tはまっすぐ全く呼吸のできないm(小児)の所へいってバッグ[i]をおした。内部にいたKは担当のIのバッグを押し呼吸を確保した。その時ちょうど巡回[ii]から二年目Mが帰ってきた。Mは瞬間的に停電とは気がつかなかった。監視室側はこうこうと電気がついているし、ICU内は夜間になれば調光器で暗くしていることもあるからだ。ところがTから大きな声で呼ばれた。「呼吸器が止まっている」「こっちへきてバッグを押して!」。

 リーダーのTは定時の巡回で、ICU向かい側の318号に入ったところだった。停電に気がついたTはまっすぐ呼吸不全のhの所へいきバッグをおした。何が起こったのかわからなかった。ただ、7人の人工呼吸患者に5人の看護婦しかいない。人手が足りない。ICUの中から電話で4階に応援を頼もうとMにバッグを替わってもらい、電話をしようとした。暗がりの中で番号が見えない。なんどか間違ったあと、やっとつながった。「手の空いている人はみんな来て欲しい」(どうしたんですか)「停電で呼吸器が全部止まってしまった」。4階ではその時詰め所にいたのは二人。一人は巡回から帰ってきたところだった。もう一人はまだ巡回の最中だ。しかし、考える余裕はなかった「とにかく」と一人がまず3階へ駆けつけた。もう一人は巡回中の看護婦を呼びにいった。「あなたも行って。ここは私ひとりでなんとかする」。
応援の2人が来るまで、Mはこのままでは危ない、廊下はついているのだから、他の部署から電源がとれないかと考えながらわずかに自発呼吸のある患者shoのバッグをベッドの間を移動しながら交互に蘇生バッグを押していた。Mは呼吸管理の経験があったのでバッグを押すこと自体はそれほど苦労はなかった。ただ人手がなく手が放せなかった。思ったことができない。

応援のOは暗闇の中でいきなり蘇生バッグを預けられた

 4階から応援に行ったOTから「あなたここ」といきなりバッグを渡されたが、そんなことは初めてだった。真っ暗な中で酸素コルベンは全開にされピーッと鳴り続けている。アンビューバッグは酸素で膨らんでパンパンになった。どうしよう、と思った。ICUのKがバッグを外し患者の痰をとってくれた。
 4階の応援が来てバッグを渡し、手が空いたリーダーのTは管理当直(看護婦長)を呼び出した。同時に、当直医、ボイラー、守衛室に連絡した。そのあとICU以外で呼吸器を使用中の部屋を見に行った。「異常なし、よりによってここ(ICU)だけだ」
 巡回からかえってきたCには何が起きているのかとっさにわからなかった。暗い中からよばれてkのバッグを押したが真っ暗なうえに、バッグを押すことになれていなかったためスムーズに接続すらできなかった。
 ICUの中にいたKはiのバッグを押していたが4階の応援、当直医が来てからはバッグをかわり手の足りないs,hの所にいったが、4階の看護婦に替わっていたhyの呼吸が充分でなかったり痰が詰まったりしたことから戻り、サクションをしたあと、自分の場所と交代した。
 管理当直のNはTからの「ICUが停電で大変です。すぐ来て下さい」との連絡で3階にかけつけた。その時詰め所にはTがいて暗がりのICUの中では 看護婦4名と応援の看護婦2名、当直医がバッグを押していた。とりあえず手が足りていると判断したNは何が起こったのか確認するために守衛室に行った。守衛は電話番号を探していたが緊迫感が感じられない。Nは臨床工学技士(CE-Sに電話がつながったのをとりあげ、自分で叫んだ「3階のブレーカーが落ちたようだ。復旧しない。とにかく、すぐに来て!」

呼吸器の電源すべてを「生きている」廊下からとった


 CE-Sはちょうど父親が車で帰ってきたところだった。Nからの電話にSは「K部長も呼ぶように」と伝え、そのまま車で病院に駆けつけた。450到着。まっすぐCE室から電源リールをもって3階にかけあがった。配電盤を確認したところ異常がない様だったので、生きている廊下から電源をとり、呼吸器のいくつかにつなげた。ちょうどそのころボイラーのOもNに頼まれ電源コードを持ってきたところだった。これでとりあえず呼吸器の電源は確保できた。ICU内の床はコードだらけになったが呼吸器が動き始めた。手が空いたせいで皆少し落ち着いた。
 とはいってもモニターの電源は切れたままで、ICUの中は真っ暗だ。薬液注入のシリンジポンプなどは内蔵のバッテリーで動いている。バッテリーは30分程度しか持たないはずだ。CE-Sは機材庫に残っているシリンジポンプを確認した。このとき幸いにシリンジポンプの数には余裕があった。これを使って取り替えながら充電しようと思った。そのうち朝になるだろう。
 ボイラーのOと3階のブレーカーを確認したが問題はない。外の配電盤のブレーカー(図“1”キュービクルのこと)を確認したところ落ちており復旧させようとしたが、バーンとはじかれてしまった。Oやボイラー室(設備担当者)には改修工事中のために、ここに配電盤やブレーカーが移設されていることをたった今まで知らされていなかったのだ。
 ICUのなかでは電源をすべて廊下からの電源コードに切り替えていた。やっと皆手を離せるようになった。5時少し前だ。(原因がわからないので)電力の消費をおさえるためエアコンもとめた。そうこうしているうちに偶然電源が復旧した。ベッドサイドのモニターも見えるようになった。少しの間、落ち着いた状態が続いたような気がした。この間に3階の2名は急いで他の病室を見て回った。シリンジの交換、点滴の補充・・・・。
これでなおった、と思ったCE-Sは医師Sと1番ベッドからどこが原因だったのかをチェックし始めた。1番ベッドは数日前電源のトラブルを起こしてブロック交換したものだった。4番までひとベッドづつ電源を「通常」に戻していった。1番ベッドから4番まで終了し 5番(つながった隣の部屋)の電源を切り替えようとしたとき、また停電になった。また、皆ばたばたとICU内の呼吸器の電源をコードにきりかえた。今度は「2回目」なのであまりあわてなかった。バッグを押しながら Sが指示した「いまのところ落ち着いているんだから、これで死ぬことはない、これでいい。設備のチェックは人手のある日勤でやろう」。
 その後しばら-くして、K部長と電気技師が病棟に来た。電源をチェックをしたい様子だったが断った。「今、やっと落ち着いたのだからチェックは人手の多いときにして欲しい」。


 事故の概略は以上です。

 一昨年来のCRM(HF)セミナーの後半で「問題解決」を学びました。それを思い出して下さい。
日常的に起こってくる「問題」の多くはSOPとか手順書、マニュアルに従って解決できます。多少の違っていても「経験」で何とかなります。しかし、それ以外のこと、まして時間と人の余裕のないような時に何か起こったら、というのが今回のテーマです。

その前にハード的にはどういうことが起こっていたのか?ということです。もちろんその時は何が起こったのかは誰もわかりませんでした

原因についての考察:その時、何が起こっていたのか?
ハード上の問題(図は概念図です)





数日後「起こったこと」を単純化してこのように考えました。
1)  改修したICUベッド(各8-10個の電源)のどこかの電源と使用機器のあいだに過電流がながれ(ショート)た。直接原因箇所はいまだに不明。
2)ブレーカー②でなく上流の①が落ちた。
3)非常電源系が全てダウンしてしまった。

拡大した被害と検討

1)  被害を限局化するはずのブレーカーが被害の範囲を拡大した。ブレーカーの目的は当院では「火事を起こさないこと」だけで「トラブルを限局化する」と言う発想ではなかった。
2)  ブレーカー①とブレーカー②の規格上の容量は「同じ」だった?が、工事時期(業者も)が違い②が新しく、①はかなり古いものだった。その結果上流に位置するブレーカー①が作動した可能性がある。
3)  過電流の直接の原因は不明。だが、この設計なら「いつかは起こる事故」だった。集中治療室内は1ベッドあたり頭側に8-10の電源があったが、ベッドごとに分離されておらず、8ベッド分で一つだった。従って、どこか一つのベッドのトラブルで過電流が発生すると8ベッドのすべての電源が落ちてしまう可能性がもともとあった。さらに内部照明なども「非常用電源系」なのでこれも落ちる。
さらに、他の病棟の非常電源系にも影響する可能性もあるし、逆に他部門の非常電源系のトラブルが、ICU側に拡大することもある。
4)  人工呼吸器の内臓バッテリーがなかったこともストレスを拡大させた。それまで、外部電力以外が原因の停電は経験していなかったため、バッテリーに関しては無警戒だったし、「非常電源」への誤解(過信)もあった。全てに内蔵バッテリーが搭載されていれば事故直後の短時間でも、生命維持に直結する問題を回避できる。他にPCPSなどの使用もなかったため呼吸の補助だけですんだのは、不幸中の幸いであった。

当面の対策として私たちが要望して実現したこと

 この事故後、直接原因不明のまま、①と②の容量の「差」を付けると同時にベッドごとのブレーカーをつけ、その位置と存在を周知した。

引き続き考えなければならないこと

 設計図上は離れていても、実際には共通だったり、すぐそばで影響を受けやすい回路などの事故は別に新知見ではない。時々報告されている。1985年の日航機事故なども、油圧系は独立していたが、回路が集中する箇所が2次的に損傷を起こしたことで操縦不能になった。その他にも熱を避けたほうが良い回路と発熱する回路が設計図上は離れていても、実際はすぐ近くに置かれていた(上下など)、というようなことは比較的知られている事象である。「現場を見ろ」というのはこういうためであり、自動車の設計などでは、全体像を把握している「主幹」という役目の統括技術者がおかれている。それでもいろいろなことが起こるようだ。

同じように「二重」とか「非常」とか表示(認識)されているものが本当はどういうことか、担当者は一度は確認しておかなければならない。

 人工呼吸器に非常時のバッテリーを搭載する問題は全く考えていなかった。生命維持に必要な機器のバッテリーの有無は、初動に余裕ができるので必須と痛感した。その後購入した人工呼吸器6台はバッテリー内臓である(テストする機会はないが)。

病院の自家発電の持続時間(重油のもつ時間)がどの程度か?
水のもつ時間・・・・災害の話を聞くたびに「あっ、あれも」と思いだすのだけど。



その夜、現場のスタッフは何を考えて行動したか?(14人の証言資料)

   (「院内的すぎる」検討なので、一部非公開としています)

その夜、現場にいたメンバーは何が原因でそうなったかを把握できたわけではない。そもそも、そんな余裕などなかった。このままではどうなるのか、何を優先しなければならないか、何が使えるか、といった「状況認識」を即座に求められたのだ。

リーダーのTは深夜帯での少ない「リソースを活用」し、なにを最初にすべきかを決めた。「とにかく呼吸だ」。一人の看護師がベッドの間で、両側の患者の呼吸を補助するように指示した。右の患者の呼吸を何度かバッグで補助したら、次に左の患者の呼吸を補助する、それを繰り返す、という具合だ。「あなたはshの間に行って!」それでも、人がたりない。全員がバッグを押すだけになってしまう。即席のチームを作ろう。やっと連絡のついた他部署も応援の要請に(細かなことは一切問わずに)即応した(通常の対応しか出来ないところもあった)。それでも、最低限確保しなければならない呼吸を確保することが出来た。
即席のチームは年齢も経験もバラバラだったが、確保する業務をしぼったことでなんとか実行可能になった。応援者には1:1の対応をさせた。そうするとICUの看護師は自分の受け持ちだけでなく、応援者の面倒を見る余裕も生まれた。

Tは思った。自分は、もっと全体のことを見なければ・・・次になにが必要だろう?こうして外部からの「手」が集まり始めるまでの約30分の危機をのりこえたのだ。
 
いま考えても信じられない程うまくいった「火事場の馬鹿力」だ。どんなに考えても、後から時間軸を刻むことなどできない。しかし、これもプラスの意味でのヒューマンファクターといえるのだ。

 テキストやマニュアルがあり、それで教育されたことなら、それにしたがって何とかすることができることが多い。しかし、マニュアルが想定していない事態が起こったときどうするか?CRM(最近の言葉ではレジリエンス)がよく発揮された例だったと思うのだ。患者と病院は、その時の14人に救われたのだ。

実際、当夜、院外から駆けつけたICUの医師は、「何人死ぬか?」とそれぞれの人工呼吸器装着患者の顔を思い浮かべながらクルマを走らせた。そして、翌日の朝刊やテレビカメラの前で、首をうなだれ、「バチャバチャ」とシャッターを切られている院長と自分の姿を覚悟しながら病院に向かった。同じ証言は14人中4人から聞くことが出来た。「誰か死ぬ」「何人死ぬかと思って震えた」と。

残された問題

1)「良好事例」をどのように伝えたらよいのか?という問題。これも意外と難しいことだ。 インシデントや事故は、原因を見つけ、それを無くする(あるいは周知する)という眼に見える対策が可能だ。しかし、現場でなんとか問題を解決し「傷害」がなかったケースなど管理者はすぐ忘れる傾向がある。管理者にとっては、危なかったことなど、「無かったことにしたい」「うまくいったのだから蒸し返したくない」というのも本音なのだ。 その結果・・・
   職員に対してどのように伝えるか?
   他の管理者に対してどのように伝えるか?理解させるか?
という問題が残された。

⇒結局、正規の報告書は作成されず、病院職員の年末の会合に当日の勤務者(看護師、技師、ボイラー当直者ら)を表彰したことで片づけられた。この時の説明もきわめて曖昧なものだった(多分、表彰した管理者が「電気の配線の不都合」位の理解で、その結果何が起き、どう考え、どうやって乗り越えたのか?さらに、このままだったらどうなったか?を理解していないからなのだ)。

この夜、リーダーシップを発揮したのは「ICUのベテラン」とか「役付き」の看護師ではなかった。このシフトのリーダーは私たちグループとよく話すNSで、事故防止との関係でアサーションなどを講義してくれたこともある関係だ。「自分の頭で考える」をモットーにしているようなところがあり、従って、看護組織的には「評価」が高いわけではない(?)。そのことが逆に自律的行動に結びついたのではないか、と思われた(本人は私たちとよく話すので、CRMという言葉と概念は知っていたと思うが、レジリエンスとかNTSとかの概念はまだ私たち自身も知らなかった)。[i]

このレポートは、事故調査などの経験のない私(たち)が事故の2日後、タテヨコに時間軸と人の交錯する図をつくって、できるだけ「その時の思い」と「行動」を聞きとり、経時的に記録したものを文章化したものだ。聞き取りの対象としたのは、その日の深夜勤のすべての階の看護師、守衛、ボイラー担当者、駆けつけた臨床工学技士まで、その夜病院にいたすべての職員だ。

私たちは良好事例であることだし、職員に起きたことを知らせたいと、速報を私たちの「機関紙」safety birdにのせ、さらに院内LANで一時公開していた(いつもの行動)。しかし、それだけで良かったのか、と思うのだ。もっと、きちんと検証すべきではなかったか、と。せっかくの「良好事例」(証言が得られ、聞き取りもし易い)を生かし、「成功から学ぶ改善」と「想定外の危機を乗り越えるためのチームトレーニング(CRM)」を正規のプログラムとして考えていくチャンスだったと思うのだ。そこまでできなくとも成功事例は職員の士気も上がる。頭の中で「自分なら」とシミュレーションするメンバーもでてくるに違いなかったのである。
推定原因まで調査した我々にとっても力不足を後悔している。


シェーマはJASCRMの資料から勝手に図式化したもの


危機に立ち向かう現場のリーダーのために、先達が「想い」を言葉に残している

  安全の原点は、結局自分で考える思考力を養うことにある(自律)
  自分の職務に誇りをもつ。仕事の本質は何かと考える。その時、自分の職業に「腹をくくる」
  正しいことをやるのではない、正しいと思ったことをやる。それ以外ない。やると決めたら、サッサと行動する
  「損得よりも善悪で」、あとでばれて恥ずかしいようなことをしない
  業務の遂行能力は赤血球、危機管理は白血球。白血球としての能力も高めよう。
  なんとか生き延びることを考える。何をすれば「次」の可能性に結びつけることが出来るかを考える。
 原因の追究よりも「今」を最小限の被害でのりこえる。それ以降のリカバリーはあとのチームが助けてくれることを信じる意外ない。
  生き延びさえすれば回復の可能性も残る。あきらめない。
  教訓を現場のことばで残す
以上

今までと違って、少し「根性主義」的かもしれません(苦笑)。
しかし、小松原先生(早稲田大学)によると、どんなにプロフェッショナルでも、技術的な問題やノンテクニカルスキルの外側に、仕事に対するマインドとか「畏れ」とかが重要、ということでした。「根性さえあれば」とは思っていませんので誤解しないでくださいね。
★芳賀先生がレジリエンスの講演で、「うまくいったこと」から学ぶときに、「よかったね、で終わらせない」と述べておられますが、いまになって本当にその通り、と感じています。
この文章は院内LANに載せた記事(停電事故の報告)を一部省略して掲載したものです。
★の部分は今回付け加えたものです。



[i] 「組織事故とレジリエンス」のなかでリーズン教授は「驚異的なリカバリー」のもっとも大きな要因として「適切なひとが、適切な場所にいた」という言い方をしています。個人として、そして組織の中でどのように育てられてきたのか、という研究が重要(レジリエンス)になります。
(2) (2015.10.追記
 漏電、過電流という事故により、ブレーカーが遮断され、その系に接続されている機器がすべて停止してしまう、という事態は、比較的一般的なトラブルのようです。しかし、その上流のブレーカーが遮断されてしまい「障害」が拡大してしまうということは、病棟の改良工事の影響であることはまちがいありません。ブレーカーの①と②の容量の差を明瞭にすることや、メーカーを同一にしておくことも事故の予防になります(違うメーカーで「同じ容量」というものを比べた場合本当にそうか?となります)。最近では、漏電がおきてもいきなりブレーカーの遮断とはならないシステムがあるようです。アイソレーションシステムといって、重要な医療機器を使用する医療室に設置され、漏電や一時的な過電流がおこると、遮断のまえに、警報が鳴り発生を知らせるシステムになっているようです。ただ、全てをこのシステムにするわけではないので、生命維持に重要な機器をこの電源につなぐようにしているようです。(当院は、事故のあと、ICU各ベッドごとの独立したブレーカーにしました。また、各ブレーカーの設置場所も集中治療室のすぐそばにしました。このほうが、「システムが単純で見えやすい」と考えました)
 「病院電気設備の安全基準」(2006)などというテキストもありますが、1ベッドあたりの電源の数にしても、容量にしても、設計・改修などをする場合、現実の使用状況を知っている我々(現場)が、「どうすれば、トラブルをおこさせることができるか?」という「テロリストの眼」で考えることも必要だと思いました。(講座
「どうすれば事故を起こすことが出来るか?」も御覧ください)「サボタージュアナリシス」あるいは「active KY」法とでもいいますか・・・・・

当時、私たちの検討(疑問)の中に、他階(他病棟)の非常電源系のトラブルによってICU側の非常電源系が停電してしまうことはないか、ということは抜け落ちていました。今回、ICUでのブレーカーの小分けでICU発生のトラブルは限定出来るとしても、他部署発生のトラブルは防止できません。
 注 アイソレーションシステムは医学会新聞3122号(2015.4.20.)木村政義氏の寄稿を参照しました。


(3)看護師のTなどが「呼吸を!」とこだわったのは下の図の知識(感覚)にもとづいています。あの夜、7名の人工呼吸の患者さんは、心臓は強心剤をシリンジポンプで注入されていたとしても「自分で動いている」し、ポンプはバッテリーである程度はもつ。と、すると心停止に関しては最優先とはいえない。呼吸は停止すると10分で50%の死亡率だ。その前に低酸素のため心臓だって怪しくなる、というわけです。



(4) この事故私たちのグループが調査をした時に、まだVTAはよく知らなかったのですが、横軸に時間、縦軸に人、患者、物をおき、その時何が起き、どんなふうに感じ、 どのように行動したか、そして相互の関連は?というような記録を作っていったことがあります。 それをもとに(ほんの少し脚色した?)ドキュメントをつくり院内LANに載せました。 また、「良いことをしたときにはみんなの前で誉めるべきだ」と院長に答申して、 その時の夜勤チーム(看護婦ばかりでなく、駆けつけた技師やボイラーマンまで)を公の場で表彰してもらいました。 教訓としてここで書くことの出来るような「1.何々・・」とはなりませんが、 ある突発的事態が起きたときの状況認識、チームの作り方、業務の分担、リーダーシップがうまくいった例だと思います。
 「ご苦労さん」というねぎらいも大事ですが、(表彰もふくめて)「記録(+記憶)に残す」「知識化する」ことはもっと大切だと思います。 そうでなければ、「知らないうちに、みんながよくやってくれて、結果的に被害が何も起きなかった」ことなど管理者は簡単に忘れます。実際、正規の調査はされませんでした。残った記録は私たちのこのドキュメントと当日の勤務者、当日駆け付けた数人の記憶に残っただけだと思います。(連載「9999人が良いことをした」もご覧ください)







[i] バッグというのはいわゆる蘇生バッグで、先端にマスクをつけたり、あるいは直接気管内チューブにつなぎ用手的な人工呼吸をする器具。救急カートや救急室にあるが、人工呼吸管理をしている場合は呼吸器に必ず一つ用意されている。
[ii] 当院のICUは8ベッドだが、ICUのスタッフは、“POST ICU”のいくつかの病室も管理している。

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