別館 9-3-2 達成された安全は人の眼をひかない 心臓外科医のマネジメント 手術の入れ換え

9-3 ではリーズンのいうレジリエントな心臓外科医の特徴を考えた。だが、一つ一つの手術に関してだった。

今回は、緊急事態が重なった時に・・・・というマネジメントの問題である。


 それは前日から始まった。
  その日は、心臓血管外科は小さな血管の手術がいくつかはいっていた。朝、病棟を皆で見たあと、めいめい手術に加わるもの、外来を担当するもの、検査を担当するもの・・・というふうに過ごし、落ち着いた夕方になった。

 ところが、17:00時、提携している病院の医師から電話だ。夕方の電話は「手がかかる」ことが多い。「心タンポナーデの処置をしているうちに、心損傷になってしまった。ショックなので、そちらまで持たないかもしれないが、送りたい・・・・・・」。
 間違いなく緊急手術だ。電話をうけたmは麻酔科と手術室に連絡、準備をしてもらう。「人工心肺はいらない。開胸さえ間に合えば・・・」

 麻酔科部長のTはいつもの通り、極めて緊急事態にも淡々と大声を上げることもなく、沈黙するわけでもなく、いつもよりもシンプルな麻酔管理をしていた。これでいいのだ。手伝っていた部下の麻酔医Sはいろいろと指示をだす。「○○を使った方がいいです」「○×は無理です」・・・という具合だ。Tは大体うなづいてそれに静かに従っている。

 術野では2人の心臓外科医が胸をひらき、心のうを開放した。溜まった血液が吹き出した。血液を吸引しながら、損傷部位を指で探る。「わかりました、裂けています」。裂けた心筋を指で押さえながらマットレス縫合し始めた。血の中で2―3針かけたあと、「出血は大体コントロールできました」と、声をかける。しかし血圧はまだ50mmHg。Tは「意識が戻ってくれればいいけどね・・・」と独り言。「NIRO」(脳の酸素モニター)も使用した方がいいです」と部下のSが用意し始める。それどころでなく手術を始めざるを得なかったのだ。遅れたけれど使用開始。比較的正常に近い値だ。なんとかなるかも・・・。

 手術が終わった。もともとの心機能がそれほど悪くなかったのか、思ったより血圧や脈は安定している。

 翌朝、執刀した心臓外科医のMは早くから、気になってICUに顔をだした。患者Aの意識が明瞭なことと、バイタルサインが落ち着いていることを確認して、昨夜からついていた人工呼吸器をはずした。やれやれ、一つ終わった、と思った。あとは、今日の手術だ。これは準備万端だ。

 しかし、本番はここからだった。Aが胸が痛いと言いだした。モニターしている心電図もSTが上昇している。「えっ!前の病院で冠動脈造影はしており、問題なかったはずだ」。しかし、とにかく今は再度、冠動脈造影(CAG)が必要だ。Mは先輩のSにカテーテル検査を頼んだ。検査がはじまったころ、今日の患者Bが予定通り手術室に運ばれ、麻酔の導入が始まった。人工心肺の用意もできていた。カテーテル検査は、たとえカテーテル治療(PCI)になったとしても1時間もかからない、という判断もあった。もう一人の心臓外科医と今日の手術は予定通り開始できる。ちょっと忙しいけれどいつものことだ、とMは思った。

 冠動脈が閉塞していたのは、大きな枝でなく、致命的になるとは思われなかった。しかし、昨日の今日だ。放っておいても良いかもしれないが、そこを開通させた。そして、カテーテル室から退出しようとした時、再び胸痛。再度造影すると、こんどは冠動脈の起始部から完全に閉塞している。冠動脈が解離したのか、スパスムか判断がすぐにはつかない。再びPCIとなったが、再開通できない。患者は再びショック状態となった。原因はともかく、とPCPSとIABPなどの心臓補助手段を開始した。しかし、安定しない。
 このままではだめだ。緊急手術しかない。

 ところが今日予定の患者はもう心臓外科の手術室に入室済みで、麻酔もかけられ、(侵襲的な)たくさんのモニター類も装着されていた。

 別な手術室を臨時で使うことは可能か?(並行して手術)(可)、スタッフの用意は可能か?(可)、器具は十分か?(可)・・いくつもの条件を考える。カテ室に集まっていたスタッフは最大の協力体制で応じる意志を示した。しかしこういう患者こそ、十分な場所で、持てる力を集中させる必要がある。力を分散するのでなく、麻酔をかけられた患者Bを、そのままICUに移して管理してもらい、Aさんを心臓用手術室にいれることはできないだろうか。患者の入れ替えだ。病棟、麻酔科、手術室、ポンプチームの了承を取り、緊急で冠動脈バイパスを行うことになった。そして、その後、ICUにあずかってある患者Bの手術を行うこととし、実際におこなった。

 この時の判断とマネージメントは見ていて本当に素晴らしいと思った。一つ一つの判断に迷っても「原則」に従おうとしていることが、外から見ていてもわかるからである。Sは難しいときほど「思考のプロセス」を声に出す。それによって周囲のスタッフはほぼ同時に理解して動いたり準備したり、情報をはさんだりすることができる。「ここまで進んだのだから」などという「サンクコスト」もどきのいい訳も心の中で考えているかもしれないが、やはり原則に従う。ぶれない。リーダーシップとはこういうことだ、と思った。見ているメンバーにも「わかる」のだ。そしてそれは同時に人を動かすことになる。これも「fly by mouth」というのではないか?。

 もう麻酔がかかっている眼の前の患者とカテ室の患者をいれかえることに、麻酔科医は連絡を受けたとき反対した。しかし、心臓外科の手術室とカテーテル室はほとんど隣り合わせにつくってあったことも幸いした。現場をみた麻酔科医もすぐに「それしかない」と理解した。自分でそのまま麻酔に加わった。2例目の麻酔は部長のTが代わってかけた。

 「予定」の患者さんの手術が終わり、その日の全てが終了したのは21:30. さすがに、みなヘトヘトだ。でも、頭の中はもう明日の手術にむかっているのだろう。「あーあ、腹が減った・・・」とMが腰を上げた。


注:私の働いている病院では手術・治療の順番の変更は救急患者を受け入れている関係上、珍しいことではありません。術前の説明の際にも、ほとんど必ず、「場合によっては・・・」ということでお話しされています。今回も、ご家族に了解していただけました。
 とはいっても、麻酔の導入が済んでから、というのは2例目の経験でした。以前に経験した例は麻酔を一旦覚醒させ、翌日、というくらいの余裕?がありました。




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